JFシェルナース

貝殻を充填したメッシュパイプを組み立てて作られた魚礁「JFシェルナース」は、リサイクルの推進に繋がると共に、微生物やさまざまな小型動物の生育の場を供給し、里海の創出と生物多様性の向上に貢献します。また貝殻の持つ生物増殖機能が漁場の水産環境整備に寄与します。JFシェルナースの開発・製造の他、魚礁漁場調査を行う海洋建設株式会社。

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トップ > スタッフのつぶやき > 2007年 > 8月号

 Weekly Column  【2007.08.31】
   まだまだ暑い日が続く今日この頃だが、小中高生は夏休みの宿題は出来たのだろうか? 私たちの世代だと今頃が一番急がしかった様に思える。まぁ?理由は遊び過ぎによるものであるが・・・。あの頃は飽きもせず良く遊んだ。海に山にと、暑いだの、日差しが強いだの関係なく良く遊んだ。クーラーの利いた部屋などそんなに無かった時代の話だ。
   大人も忙しかったから、遠くへ出掛ける事も無く、自分達で遊ぶ計画を立て、実行し、飽きたなら、作戦会議を開いてモット楽しいことを考えていた様な気がする。気のせいか?今の子供は大人から与えられた物でしか喜びを感じ取れず、創意工夫が苦手な子供が多くなった。
   昔が全て良かった訳では無いが、無ければ無いなりに自分で工夫して達成感を味わうことも出来たし、周りの大人に聞けば、一緒になって考えてくれた。そんな時代があったのだ。
   大人も変わった。自分の子供はもちろん、他人の子に悪い事をしても怒らないし、子供から相談されても真面目に相手にしないで、「自分で考えなさい。」で簡単に片付ける親も多い気がする。今の子供より大人の方が変わってしまったのだろうか・・・。

 Weekly Column  【2007.08.24】
   お盆休みに中学時代の同窓会があった。余り乗る気はしなかったが、25年振りと言う事もありノコノコと出かけてみた。会場の駐車場で何となく懐かしい顔が横切ったので、後をついて行く事にした。「○○中学校合同同窓会」の看板の前でピタッと止まったり、私も吊られて止まった。「○中?」お互い指差しながら言い合うと、一瞬で25年前に一気に遡ってゆくのだ。『△△君だ。○○さんだ。』懐かしい。会場の前では、一際歓声が上がる。
   無理もない。25年の月日は一時机を並べた仲間というより、『戦友』の感覚を醸し出すからだろう。痩せた朋、太って貫禄が出た朋、大出世した朋、綺麗になった朋、老けた朋・・・25年は各々の喜怒哀楽を経験させたのだろう。そして悲しかったのが4人既に亡くなっていたことだ。皆仲が良かった奴等だった。うち一人は小中高と同じ道を辿った仲間だった。今回は杯を交わすことは叶わなかったが、何れその時が来たら酌み交わしたいものだ。恩師も数人来ていたが、各々顔に年輪を刻んでいたのが印象的だった。今どうしてるのか?家族は?どこに居る?・・恩師も、朋も皆同じ。無事を確認し合うと、次は5年後の同じ月にしようと誓いあい去って行った。
   5年後はどうなってるだろうか?・・・。

 Weekly Column  【2007.08.17】
   みなさんは、『論語』を知っていますか?そうです。世界の三大聖人の一人で『孔子』という方の弟子が一言一句大事に書き留め編纂された書物のことです。日本では江戸時代になって、武家の学問から寺子屋を通じて庶民に広まったとされますが、近代、特に戦後にいたっては国語の漢文に出てくる程度で、有名なものに「朋遠方より来れり、亦楽しからずや」などありますが、最近の子供でも知らないでしょう?ね。
   私は『論語』に出会ってから二十数年経ち、しばらく目先の人生を彷徨っていましたが、1年前程に偶々覗いた図書館で『論語』に出会い、今日まで人生の指針として来ました。
   特に好きな一節が『子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち悌たれ。謹みて信、汎く衆を愛して仁に親づけ。行ないて余力あらば、則ち以て文を学べ。』(訳:青少年は家庭生活にあっては孝を行ない。社会生活にあっては目上の人に従え。常に言行を謹み、言行を一致させ、世人を愛することに努め、他者を愛するあり方に近づけ。それらを行って、なおまだ余裕があるなら、古来より優れた文献から学ぶことだ。)なんと素晴らしい一節でしょう。もう一節あります。『曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか、と。』(訳:曾先生の教え。私は毎日色々と反省する。相手の相談にのりながら、いい加減にして置くようなことは、無かったか?友人との付合いで言葉と行ないが違っていなかっただろうか?十分に身についていない知識を、他者に教えていないだろうか?というふうにである。)この曾子は孔子様が私より優れていると言わしめる程の弟子だったそうです。私は常にこの言葉の様に在りたいと願っています。
   江戸時代や戦前で立派な方達全ての人がそうとは言えないかも知れませんが、『論語』を学んで自分の使命を理解し、在るべき姿を信念にしていたと思われるます。自分の人生に恥じない生き方は『論語』から読み解くことが出来たからでしょう。
   ところが昨今の企業の不祥事、政治や家庭・教育不信など続きますが、国民に、特に若い人には是非読んで欲しいと思います。
参考文献:講談社学術文庫 「論語」加地信行訳より

 Weekly Column  【2007.08.10】
   私の趣味の一つに「裁判傍聴」がある。最近では、行くことが全く無くなってしまったが、憲法上保障された国民の権利であり、被告人(或いは、被告)の公開原則による裁判の権利とでも言うようですが・・? 最近では小説などで話題となっているが、その手の類は刑事事件が主で、私的に言えば面白いと思う。しかし、地方で都会の様な事件がある筈も無く。常習的な窃盗・暴行罪・覚せい剤取締法違反などが目白押し程度で弁護士も毎度の顔ぶれで、2・3回傍聴したら、大事件以外は殆ど見なくなるのが常である。それでも私が懲りずに傍聴してきたのは、弁護士・検事そして裁判官が行う被告人質問の中身である。犯罪への的を得た質問が聞きたい事と、何故犯罪に走ったのか?過程を知りたかったのだ。経緯を辿ると、情状しても良いのでは?と思うケースと、それに値しないケースがあるが、最終的には裁判官が決めるのだ。
   でも、一番私が面白いと思ったのは、民事裁判である。テレビドラマの様な弁護士同士のぶつかり合いが見れるからだ。ありとあらゆる手法を駆使し立証してゆく様は圧巻である。職人芸に近い。しかし、刑事事件と違い頻繁に公開裁判などなく、和解ないし調停で形を付けるのが一般で、簡易裁判に至っては書面裁判が主なので、内容すらわからないのである。
   数年後には、裁判員制度が実施されるので、当然国民の義務として参加しなければならない。みなさんも一度、裁判所へ行ってみてはどうだろうか?

 Weekly Column  【2007.08.03】
   私はコラムと言うものを書いたことが無い。と言うよりも人に読み聞かせる事が苦手だ。過去には社内や社外に出す様な在り来たりの文章なら幾らでも書けるのだが・・。何故だろう?自分について話すことや、書くことはとても躊躇ってしまう。それで周りからは変わり者とか難しい人と良く言われることがある。
   「自分」を外に向かって表現する事は、とても難しいし容易ではないと思う。よく誰に対してもスムーズに自己表現が出来る人がいるが、「どうしたら自然(素直)に出来るのだろう」と思う事がある。自分だけが感じることでは無いと思うが・・言葉や表現の難しさは人の関わりの中でよく感じるものだ。それを裏付ける様に最近は暗いニュースが多い。他人同士傷つける事は良くあるが、親と子、兄弟姉妹、夫婦でも、絶句してしまう様な話が多い。
   何年も生活しているのに「自己表現が出来なかった」「何を考えてるのか分からない」「他人と生活していた」と云うのだ。周りから見ると「あんなに仲が良い親子が」「鴛夫婦みたい」「いつも仲良く出掛けてたのに」と云われていた人達だ。どんなに外見を繕っても中が伴っていないと、周りのショックも大きいが、本人達の方が一生傷つくだろう。
   人間は集団生活を創めた頃、相手に自分の意志が伝わる様に「言葉」を使い、記憶する為に「文字」を発明したと云う。昔の人は偉大だ。現在はどうだろう、加速度的に進化し、自分の意志を伝える手段の「言葉」は置き去りにされた様に思う。下手でも良いから「言葉」で自分を表現し、相手を理解しようと努力する姿勢がとても大事に思える今日この頃だ。

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